今回は袴田事件で袴田巌がねぜ疑われたのか、また真犯人は誰なのか分かりやすく解説していきます!
事件の概要
まずは事件の概要から説明します。
- 1966年6月30日未明に静岡県清水市で味噌会社専務宅が全焼した。
- 焼け跡から専務一家4人が刃物でめった刺しにされた遺体で発見。
- 警察は当初から従業員で元プロボクサーの袴田巌氏を犯人と決めつけ、8月18日に逮捕した。
- 過酷な取調べ(便器持ち込み、連日深夜取調べなど)で自白を強要された。
- 自白は日によって内容がばらばらで、動機も「不倫」や「金欲しさ」など様々だった。
- 当初の犯行着衣はパジャマとされたが決定的な証拠とはならないものだった。
- 後のDNA鑑定で血痕は袴田氏や被害者のものではないと判明した。
- しかし第1審で、1通と衣類を根拠に有罪とされ死刑が確定してしまう。
大まかな流れはこのようなものです。
疑われた理由
袴田巌さんは、事件現場の味噌会社の従業員 であり、専務宅とも近くにいました。
「内部の人間なら侵入しやすい」と警察が考え、最初から疑いの目を向けられました。
また、元プロボクサーとしての経歴がありましたが、その後は会社員として働きましたが、生活は楽ではなかったようです。
そのため「お金欲しさ」で犯行に及んだなど、当時の袴田巌さんは、アリバイとなる要素が非常に多かったということが分かります。
袴田巌さんが有罪ではない理由
結果的に袴田巌さんは有罪ではないという結果になっています。なぜでしょうか。
自白に一貫性がない
一つ目は自白に一貫性がないということです
逮捕後、袴田巌さんは連日長時間の過酷な取調べを受けています。
トイレも制限され、睡眠も十分に与えられない状態で「心理的に追い詰められた」といえます。
この影響もあってか自白の内容は様々で、「不倫」や「お金」などいろいろな理由が上がりました。
これに関しては、「自白の心理学」で有名な浜田教授が細かく分析し指摘しているため、この自白の内容が事実と反しているのは確かなことといえるのではないでしょうか?
犯行衣服されたものが不自然
二つ目の理由として、事件発生後の1年2か月後に味噌樽から発見された5点の衣類が不自然だったという事実があります。
血の付き方が不自然だったり、ズボンが小さすぎて袴田巌さんには着ることができなかったり、DNA鑑定の結果、血痕は袴田さんや被害者のものではなかったりとつじつまが合わないことがほとんどだったようです。
他にも細かい理由があるかもしれっませんが、大まかにはこれが理由といえるでしょう。
真犯人は誰?
結論から言うと真犯人は現在も見つかっていません。
当時は袴田巌さんに完全に絞った調査を行っていたため、真犯人については全く調査されていませんでした。
現在はどこで何をされているのか分かりませんが、かなり年月が経っていますし、亡くなられている可能性もありますね。
まとめ
今回は袴田事件について解説していきました。
自白についてのエピソードなど、かなり昔ならではの出来事ですね。
今ではあり得ませんが昔はこのようなことがあったのです。
この記事を読んでこの事件について少しでも理解が深まれば幸いです。
最後まで見ていただきありがとうございました。
コメント